これは、李英老師に伺った譚老師のエピソードである。
 

譚吉堂師父(1917-2008)は、長春八極門きっての実戦派として知られた。「譚快手」の異名を持ち、生涯24回の実戦や他流試合で不敗であった。

譚老師は、はじめ周馨武師爺に大紅拳、小紅拳等を習い、その後霍殿閣師爺や霍慶雲師伯に八極拳を習った。そのほとんどは、大師兄霍慶雲から教わったと聞く。

長春に当初、八極拳の武館は2つあった。1つは旧偽満皇宮の霍殿閣の武館(代理教学霍慶雲)、もう1つが三馬路武館で周馨武が教学であり、ここには霍殿閣と霍慶雲がたびたび訪れた。

譚老師は、昼間は商売に精出し、夜間に三馬路武館で修業した。毎日熱心に練習に励み、覚えがよいため進歩も他人より早かった。手が速く(出手快)、反応もまた早かった。

八極拳は当時非常にマイナーな拳であり、霍殿閣・慶雲によりようやく普及し始めたものの、長春でもほとんど知る人のない田舎拳法であった。が、2人が有名になってくると、他流試合に来るものが出始めた。
 

ある日、三馬路武館に挑戦者があった。折あしく老師たちが不在だったため、譚老師が応対した。

「わざわざ試合に出向いてやったのに、霍殿閣も慶雲もいないのか。他の奴なんか相手にならんし、まいったな。」

譚老師はむかっときて、「俺に勝ったら慶雲師兄に会わせてやるよ」。

来訪者は譚老師を見て言った。「なんだ、ガキなんか相手にできるか!」

老師も若かったし向こう見ずなので、「ガキかどうか、手合わせしてから言ってみろ!」

すると相手は、「よし、それなら片方の手足だけで相手してやろう。」

譚老師は言った、「なめるな、全力で来い!」
 

譚老師は得意の「提肘摔掌」で、疾風のごとき速さで顔面を狙う。相手は驚きながらもさすがに百戦錬磨の強豪。身法一閃、譚老師の背後に回り込まんとする。

老師がすかさず横に踏み込んで馬歩となり、「胯打」で相手の下腹部を打つと、相手は歩の着地寸前の不安定な体勢で打たれたため見事にふっ飛び、しばらく起き上がれなかった。

譚老師は抱拳礼をとり、「失礼、手が滑りました。」
 

その後の交流で、相手は翻子拳を長年修業していたと聞いた。


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